【とっておきのお話】


第27回 (2008/1/12)

1月31日は、シューベルト先生のお誕生日です


みなさん、あけまして おめでとう!

さあ 新年(しんねん)最初(さいしょ)のお話(はなし)は、

もうすぐお誕生日(たんじょうび)の音楽家(おんがく)のお話(はなし)だよ。

その人(ひと)「フランツ・シューベルト」Franz Peter Schubert
(1797〜1828)

あの「魔王」「アベ・マリア」など美(うつく)しい曲(きょく)をつくった

(ちょう)有名(ゆうめい)シューベルト先生(せんせい)です。

先生(せんせい)は、1797年(ねん)1月(がつ)31日(にち)に生(う)まれました。

(い)きていれば、(いま)210才(さい)です。 


では、シューベルト先生(せんせい)のお話(はなし)しましょう。

1. シューベルト先生(せんせい)は、 ウィーン生(う)まれのウィーン育(そだ)

シューベルト先生(せんせい)は、ヨーロッパのオーストリアという国(くに)ウィーンという町(まち)に生(う)まれました。

(いま)も昔(むかし)「音楽(おんがく)の都(みやこ)・ウィーン」といわれて世界中(せかいじゅう)の人(ひと)たちの憧(あこがれ)れの町(まち)です。

シューベルト先生(せんせい)は、死(し)ぬまでウィーンにいた生粋(きっすい)ウィーンっ子(こ)でした。これホント!


2.


シューベルト先生(せんせい)は、 ウィーン少年(しょうねん)合唱団(がっしょうだん)

シューベルト先生(せんせい)は、こどもの頃(ころ)ウィーン少年(しょうねん)合唱団(がっしょうだん)=宮廷(きゅうてい)礼拝堂(れいはいどう)の少年(しょうねん)聖歌隊(せいかたい)にはいっていました。

ウィーン少年(しょうねん)合唱団(がっしょうだん)は、現在(げんざい)では世界一(せかいいち)有名(ゆうめい)なこどもの合唱団(がっしょうだん)で、「天使(てんし)の声(こえ)」と言(い)われています。メンバーになるにはとても難(むずか)しい合唱団(がっしょうだん)です。

シューベルト先生(せんせい)は、子供(こども)の頃(ころ)とっても歌(うた)が上手(じょうず)だったんだね。これホント!


3.


シューベルト先生(せんせい)は、 兄弟(きょうだい)が多(おお)かった!?

みんなは何人(なんにん)兄弟(きょうだい)ですか? ふつう2〜3人(にん)だよね。

しかし シューベルト先生(せんせい)は、なんと14人兄弟(にんきょうだい)の12番目(ばんめ)に生(う)まれました。

お母(かあ)さんが亡(な)くなって、新(あたら)しいお母(かあ)さんにもその後(あと)子供(こども)4〜5人(にん)(う)まれたので、合(あ)わせると20人兄弟(にんきょうだい)になる。びっくりだね。

でも 200年(ねん)も昔(むかし)は、なかなか病気(びょうき)を直(なお)すことができなくて20人兄弟(にんきょうだい)の内(うち)7人しか生(い)きのびれなったんだ。これホント!


4.


シューベルト先生(せんせい)は、 「ピアノ」より「ギター」

シューベルト先生(せんせい)は、最初(さいしょ)にお父(とう)さんとお兄(にい)さんにピアノとヴァイオリンを教(おそ)わりますが、音楽(おんがく)の 中心(ちゅうしん)は歌(うた)でした。

11才(さい)のとき全寮制(ぜんりょうせい)の神学校(しんがっこう)に入学(にゅうがく)。はじめて本格的(ほんかくてき)に授業(じゅぎょう)で音楽(おんがく)を学(まな)びます。15才(さい)のとき神学校(しんがっこう)から家(いえ)に戻(もど)作曲(さっきょく)するようになります

(いえ)はあまり裕福(ゆうふく)ではなかったので、高価(こうか)なピアノはありません。その為(ため)ピアノはあまり得意(とくい)でないのでギターでの作曲(さっきょく)が多(おお)かったようです。

しかし、亡(な)くなるまでの31才(さい)までのたった15年間(ねんかん)1000曲(きょく)に及(およ)ぶ たくさんの作品(さくひん)を残(のこ)しました。これホント!


5.


シューベルト先生(せんせい)は、 音楽(おんがく)がすべてだった。

シューベルト先生(せんせい)は、死(し)んでから認(みとめ)められた音楽家(おんがくか)です。昼間(ひるま)は小学校(しょうがっこう)の先生(せんせい)をして生計(せいけい)をたてていました。

仕事(しごと)が終(おわ)ったら、寝(ね)るのも惜(お)しんで作曲(さっきょ)してました。メロディーが浮(う)かんだらすぐ書(ね)けるようとメガネをしたまま作曲中(さっきょくちゅう)に寝(ね)ているシューベルト先生(せんせい)でした。

その為(ため)いつも頭(あたま)はボサボサだったんだって!これホント!


6.


シューベルト先生(せんせい)ベートーベン先生(せんせい)のお墓(はか)

シューベルト先生(せんせい)は、ベートーベン先生(せんせい)を音楽家(おんがくか)としてとても尊敬(そんけい)していました。そして友(とも)だちでもあったんだ。だから「ベートーベンの横(よこ)に葬(ほうむ)ってほしい」と言(い)って亡(な)くなりました。

しかし、最初(さいしょ)は今(いま)のシューベルト公園(こうえん)にお墓(はか)がありました。希望(きぼう)どおりの場所(ばしょ)じゃなかったの。

1888年(ねん)=死後(しご)60年後(ねんご)にやっと遺言(ゆいごん)どおり、ベートーベン先生(せんせい)のお墓(かは)の同(おな)じ並(なら)び移(うつ)されて 「めでたし、めでたし」となりました。これホント!

おわり

 


おうちのひとに補足説明(ほそくせつめい)をよんでもらおう↓


≪保護者の方への補足説明≫上記文に関しての補足説明をさせて頂きます。

歌曲王の愛称で呼ばれる「フランツ・シューベルト」Franz Peter Schubert (1797〜1828)は、学校音楽の授業に必ず登場するオーストリアの作曲家です。
 

幼少から音楽のことは「何も教えなくても何でも知っている」と周囲を言わしめるほどの天才だった様です。
 
たった15年の間に交響曲・弦楽四重奏・ピアノソナタ・ミサ曲・舞台作品・歌曲など1000曲以上の作品を残しており、ロマン派の代表といえます
 
こどものころの聖歌隊の経験からか、やはり歌曲の作品数が多くあります。
 
しかし残念なことに、31才と若すぎる生涯だったため、生前にはあまり評価されませんでした 。(ウィーン楽友協会の理事となりやっと認められ始めた矢先、病に倒れる)認めてくれるのは親しい音楽仲間だけでした。
 
彼は「音楽家以外の何者でもなく、この世に生を受けた」と言う言葉を残しています。まさに独身を貫き、すべてを音楽に捧げた一生でした。
 

(もど) 目次(もくじ)へもどる(つぎ)へいく

Copyright 2000-2013 Piano Kids Club All Rights Reserved.